裏庭の幸せ

日常の中の新たな発見の記録

無いものを見つけるには、今あるものを見つける

新聞の日曜版に載っている・・・数独

これを解くのがいつしか習慣になっている。

 

マスが埋まると気持ちがいい!

 

数独を解きながら、ふと思った。

分からないもの、見えないもの、

 

「無いものを見つけるには、今あるもの、手にしているものを見つける」

 

数字がわからない空欄のマスを眺めていたら、そう思った。

 

そう 今すでにあるものを拾い集めて、そこに注目していけば

自分が探しているもの、その輪郭が見えてくるかもしれない。

 

数独の1から9までの数字。1から8まで見つかっているのなら

残りのマスに入るのは9だとわかる。

 

数字は答えが明確でいいな・・・

自分探し。

私は何がしたいのだろう、人に喜ばれるような、役に立つような何か。

本当は人に認めて欲しいだけではないか?

そんな事をいつも考えたり、自分を表現できるものを求めて習い事をしてみたり。

 

そしてこんな事して何になるんだろう、と、いつのまにか辞めている。

ありのままが完全だとしたら、

全体の形が分かればジグソーパズルのピースのように、ないものの形が見えてくる。

 

ないものないのではなく、見つけてくれるのを待っている?

あるものを当たり前でなく、感謝の思いで見つめる・・よく言われている事だ。

 

今あるものを感謝の思いで愛していれば探しているものは、

向こうからやってくるのではないか。

 

それを信じていればいい。淡々と生きながら。

 

自動書記?

最近自分が数十年前に書いたノートを読み返している。

この時の私は強烈に悩んでいたし、かつてない程エネルギッシュに生きていた

事は覚えている。そして苦しい思いを書くことによって自然に真実が分かるような、

答えを導きだすような事をしていた。

そしてその気づきをとても信頼していた。1月に書いている1ページを載せてみようと思う。

 

だんだん皆気づきはじめている。人間は暮らしやすいもの、便利なものをたくさん創りだしてきた。

もう不自由さを感じる所も無くなってきている。

人々は心に目を向け始めている。

もうまわりにまどわされてはいけない。

誰が本当の答えを知っているのか?それは自分自身である。

人の考えやアドバイスにたよっていても正しい答えはない。

自分の中に入っていくこと、そして自分の内なる声を聞いてみるのだ。

その時に孤独になる事を恐れてはいけない。

自分に正直になる。自分から逃げない。それらはよりいっそう人を孤独にするが

それは真の愛を持つ事なのだ。

人はみな同じだという事、そして個別の人間は決して混じり合う事は出来ない。

その孤独をつないでくれる唯一の手段は愛しかないという事がわかる。

愛とは何か、すべての命あるものに対して限りない思いやりを持つ事である。

感激に対して大いに喜ぶべきだし、それを求める事。

憎しみは不幸しかもたらさない。

不幸を生産するものに対して、戦う事、破壊する強さをもつ。

そしてそれを改善しなければいけない。

いつかみんなが行くであろう未知の世界、新天地。

それらは私たちを呼んでいるのに、まだ気づいてない人がたくさんいる。

詩や音楽は新天地への乗り物なのだ。

自分の心に耳を傾ければ聴く事が出来るのだ。

それはたやすい事ではない。苦しい険しい道のりだが、

輝くばかりの光が迎え入れてくれようとしているのだ。

それらを求めあう同志は通じ合うのだ。

愛によって交信できお互いを高め合いながら昇って行くことが出来る。

不思議なパワーの持つ意味を否定してはいけない。

なぜならそれは真実なのだから。

 

あいまいな表現も多く、何が言いたいのか分からないかも知れない。

この時どんな心境だったか覚えてもいない。

でもこれは思考して書いたのではなく自動書記とまでは言えないが

頭で考えていても何も出てこないが、ノートに向かうとスラスラと書いていたのは覚えている。今はノートを開いても、このようにペンは進まない。

何も知らなかった私、当時の方がハイヤーセルフと繋がっていたのかも知れない・・・

結婚、子育て、現実生活の比重が大きくなってハートに聞く事を忘れてしまっていた。

またこの感覚を思い出したいと思うようになった。

 

 

 

 

過干渉とは

 

子育てにおいて過干渉とは、子供の望む事ではなく

親の望み通りに子供を変えようと干渉する事だという。

これはとても恐ろしい、そして親はその事に気づいてなくて

子供のためだと信じ一生懸命やっている。

世間の価値観や狭い情報のなかで、それが正しいと思って

やっているのだからやっかいだ。

 

大事な事は子供がどう思って何を望んでいるのかを

まず聞いてあげ理解する事。

それが世間的にはずれていたり、自分の価値観と合わなくても。

子供は自分とは違う一人の人格を持った大人として見てあげる事。

 

小学校高学年から学校を行きしぶり、それが大変な事だと落ち込み

カウンセリング、病院、スクールカウンセラー、役所の教育指導

あらゆる所に行ったり、検索したり、でも腑に落ちる答えにはたどりつけなかった。

そしてある勉強会に参加してやっと見えてきた。

私はこの事に気づくまで2年くらいかかった。理解してもらえない

つらさでどれだけ子供が傷ついていたのか、本当に申し訳なく思う。

 

世間の価値観に縛られ苦しい思いをしている親はいっぱいいるはず。

学校生活と折り合いをつけていく方法は人それぞれだと思うが

一番大事なのは子供の心を無視したサポートをしても後でつけが回ってくると思う。

生きずらい時代ではあるけど、子供の中に光っている、オリジナルな魅力をサポートしていく事が大事なんだと思う。

 

制限つきの地球の魅力

一人で車を運転しながらラジオをつけた。

AMラジオを聞いてみたくなった。

しばらくすると欧陽菲菲のラブイズオーバーが流れた。

AMラジオはテレビでは聞かなくなったような昭和歌謡もよくかかる。

しみじみと聴いて歌詞の情景もありありとイメージ出来て、

歌が終わったあとは映画でも見た後のような、切なさが残った。

これだよこれ!

私たちが三次元の不自由な地球で体験したかった事。

もし自分が肉体をもたない意識体だったら・・・

地球で別の人格を持つ人と恋愛したり、食事したり

会話を楽しんだり、水の冷たさを感じたり、動物の毛をなでたり、

こんな物質的な体験を楽しみたかったのではないか。

地球は人気があって地球に生まれたいと願う魂が列になっていると

何かで読んだ覚えがあるが、分かるような気がする。

ドラマや舞台で俳優さんたちを見て、いろんな人物を演じられていいな~と

思うように。物質世界でしかできない体験をしたかったのかも。

アセンションとか波動を上げるとか今、そのような情報に取りつかれている私だけど

ここでしか体験できない世界ももっと味わい尽くしたいと思った。

それこそが地球に生まれた理由かもしれない。

 

宇宙エネルギーかも

 

最近スピ系のYoutubeばかり見ている。

3年くらい前から子供が学校を行き渋るようになり

子育て、心理学の本やインターネットで情報を集めたりするうち

何故か物理学に興味が移り、量子力学や波動の世界に魅了され始めた。

今一番面白いのは宇宙の話、宇宙人、天使、龍、高次元の世界には

そんな神話やSFの世界が本当にあると言ってる人いっぱいいる。

 

なぜその世界を受け入れ信じる事ができたのか・・・

 

それは数十年前のある体験につながる!!!

 

その体験は当時のノートに書いていて、私の心にも常に残っている。

そのノートの内容をここに載せてみようと思う。

 

 あれは一体何だったのだ、輝かしい未知の世界?

 その時はうとうとしていて、蛍光灯のあかりがまぶしいと感じたが

 眠気に勝てなかった。

 その時、何かものすごい力が私に加えられていた。

 白い光の中に私の体が引っ張られて行きそうになる。

 すごい力だった。その力は不思議と私の肉体がすーっと溶け込んでいくような

 やさしさを持っていた。

 まるでエクスタシーのかたまりのような世界。

 自分の魂だけが残り、形がなくなりそうな気がした。

 私はそこに行きたいと感じた。何とも言えず気持ちの良さそうな所だ。

 でもそこに行くことは、私の肉体を失うこと・・・

 そこに行ったら自分は死ぬな、と感じた。

 だから私は必死で抵抗した。

 抵抗していた力は肉体だったのだろうか?

 精神だったのだろうか?今だにそれはわからない。

 もしかしたらあれは未知の世界からの警告だろうか?

 だとしたらどのような警告なのだろう?

 私が私の真実をあきらめそうになっているから?

 疑問の残るまま偽りの世界へ入ってしまうかもしれないと、

 私の心のどこかに不安が生まれ始めているから・・・

 完全なる絶頂の渦はいつの日か我々を支配するのだろうか。

 それを垣間見る方法をいくつか人は知っている。

 音楽・愛、それらはある意味では人間の力を超えた所で働いている。

 しかしその気になりさえすれば誰にでも持てる事の出来る力。

         ーーーーー 中略 -----

 まるきり解放した状態、無意識のうちにそれが向こうから突然おとずれた・・・

 私はその日から数日たつ今も、その正体についての考えがやまない・・・・・

 

すごくない????

私何十年も前にこんな体験してたんだよ!

それ一度きりだったけど、それなのにそのあとはずーっと

3次元の重たい波動の中で生きずらさを抱えてそれが生きる事だと信じてきた。

それを思い出させ、気づかせてくれるきっかけになったのは

子供のおかげ。ありがとう。

あの白い光は宇宙エネルギーだったのかも。

あの中に入って行ってたら何がおきていたのだろう・・・

 

お題「断捨離」

 

お題スロットで断捨離を見つけたので書いてみようと思った。

断捨離に限らずいろいろな片付け本を読んでは物を減らす事を繰り返してきた。

捨てても差し障りのないものは躊躇なく捨てられる。

大きなごみ袋がいっぱいになると一時、満足してそのゴミを出せる曜日まで

こんなに捨てられた。とゴミ袋を見ながら自己満足に浸る。

ところがいざゴミを出し終わった部屋を見てもスッキリしない。

 

断捨離とは何か?

 

いろいろ検索してみると、断捨離とは単に物を捨てる事でもなく

収納上手になって片付ける事でもない。

自分の心に向き合って自分が手放すことが出来ない過去、もう必要のないこだわりなど

に気づく事、そんな人生哲学だという。

ごきげんな空間を作るのが目的。

 

写真を断捨離してみようと思った。

 

確かに何年も見ていない、撮ったことさえ覚えていない写真が何百枚とあるのに

似たような風景写真、顔が暗くて写りが悪いものなど、十数枚しか捨てられなかった。

部屋がスッキリしない理由・・・それは私の心の中を映し出していたのだ。

自分の過去、こだわりに向き合うと決めて・・・今日は捨てようと思っていた発砲スチロールの箱を小さく割って出した。

 

本物の断捨離が出来たらまたブログに書こうと思う。

 

夢よりステキな現実

この言葉は数十年前、ふと頭に浮かんだフレーズ。

一生に何度も無いような感動的な体験。

そんな感動を味わった時、その言葉とともに至福の思いに包まれた。

会えないはずの人に会えた時。まさかと思うような賞を取った時。

夢というのは頭で描くことが出来るけど実態がない。

夢のような現実が実態として現れた時、人は宙に浮いたような感覚になる。

パラレルワールドとかスピリチュアルな世界では夢も現実なのだろうか?

コロナ禍の中で知識としてだけ知った世界。

あらゆる価値観が書き換えられ当たり前が当たり前でなくなり、

あり得ないと思っていた事も起きる可能性がある。

この言葉のような体験が起こった時、どのような景色が広がるのだろうか。